■一千一頁物語

一瞬を凍らせる短歌やスナップショットのように生きたいブログ

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OrcaOrca 1st album 『Elephant』


作者:Orcaorca
書籍名:Elephant 初回限定盤特製ブックレット
頁番号:5,6ページ

 枯れた芒野を、黒いマントを介して手をつなぎ、駆ける黒いスーツの青年二人。少年のようなその青年のイメージは、何処か稲垣足穂の小説を思わせる。
フォークトロニカバンド、OrcaOrcaのファーストアルバムElephantの特典ブックレットの一ページ。
 PVのスチル写真なのだけど、青年の筋肉と少年の骨が同居したようなこの写真のイメージは、OrcaOrcaの音楽のイメージで美しい。
 冷たくなれる一ページ。





 OrcaOrcaのアルバムElephantに収録された音楽は、タバコのイメージ。錆びついて、饐えた稲垣足穂。アルバムの曲は一つ一つバリエーションにあふれているのだけど、そのどれもが、タバコの質感を持っているような気がする。
刺激と、重く漂う雲。小さく指先に踊る火。
 錆びた色の鉄絃。狭さを持った空間を感じさせる音響のリバーブ。
雨のように繰り返されるドラム。外から聞こえる雑踏の旋律。
頭の中で聞こえる不吉な音。垂直に降りてくるエレクトロなサウンド。
 Elephantの音楽を聴く時に、自分は何処かに閉じ込められて、タバコの煙だけを見つめている。
 何とも言えない、タバコの匂いとしか形容できない香りの漂うアルバム。
インストゥメタルだけど、とても聴きやすくて、入りやすい。
 アルバムを実際に買って、フルで通して聴くと、想像以上の世界が見えてきます。
 好きです。




今回引用したブックレット付きの限定版


Orcaorca
2014-05-03
ブックレット無しの通常盤

映画『ゴティックメード 花の詩女』はなぜ上質な“映画”なのか 〜流れる時間と強靭な構造、毒を超越したドラマ〜



 映画『ゴティックメード 花の詩女』は映画が好きな方にこそ、観て欲しい映画。それから、ファンタジー文学、ある種の児童文学の小さな傑作、おとぎ話や童話に近いファンタジーが好きな方に。
 予告にあるような、ロボットアニメ、という宣伝文句を忘れて、ただ一つの優れて小さな、ロードムービーとして。
 或いは、映画なるものへの強烈な信念に裏打ちされた、力強い作品として。




 映画の物語は、とてもシンプルなもの。
 舞台は、スターウォーズのような(とあえて言います)SF宇宙の片隅の、自然豊かな植民惑星。この星の精神的主導者である詩女という巫女に選ばれた人間が、違う星の軍事大国の皇子であり軍人の人間に護衛され、二人が立場を異にする指導者として、あるいは生身の人間として、対立しながら祈りを捧げる旅を続ける、というのが概略。

そしてそれは、祈りと詩と踊りと、恐ろしいものの対立の物語。ささやかなものと、恐ろしいものの対立の物語。あるいは、希望と現実の対立。

 この対立の構図が、映画の殆ど全てのシーンに織り込まれている為に、この映画がただの美しい映像ではなく、優れた質感を持つ"映画"に思えました。



『ゴティックメード 花の詩女』という映画は、決して派手な映画ではありません。ハリウッド映画のようなスペクタクルも、宮崎アニメのような激しいアクションも、ドキドキする展開も、ほとんどありません。

 けれど、映画の中には、確かな時間が流れていいます。主人公たちが、美しいと同時に茫漠とし、広すぎる自然を渡っていく、静かな時間の流れ。それを映し出す焦れったい程に長いカメラ回し。

映画のアクションがスペクタクルで長ければ、この時間は、流れの速いせわせわとしたカットに破壊されてしまうでしょう。この映画はどこまでも、自分の映画であることに忠実です。そして、映画の時間の心地よさ。

 常に聞こえる、風の音、波の音、草が擦れる音、それらの音が、決して狭い空間ではなく、圧倒されるくらいに大きな空に響いているのだとわかる音響。 

人の来歴や微かな感情を映し出す細やかな人物アニメーションの芝居。大地の草が風に頭を垂れて太陽を映し、灰色に煌めく雨が無数の層となって空間を埋め尽くす、圧巻の自然描写。これらの細い描写によって、映画の中には常に時間がゆっくりと流れているのです。 

じっと沈む太陽を眺める時のような、異質な時間。この映画に刻み込まれた、現実とは違う時間の感覚は、ここにはない別の惑星に流れる時間なのです。 
 


 この、世界の時間と存在を支えるのが、映画に詰め込まれた美しさの数々。架空の未来世界と、荒涼とした自然を混ぜ合わせる、優れたデザインの数々。 

軍事大国の少年が乗る空中戦艦の威容と、詩女の少女が乗る小さな船の靭やかな軽やかさ。人々の歴史を静かに語る服飾デザイン。主人公たちが旅をしていく、自然風景の、水彩画の迫力。少女が荒涼とした大地と対峙して、種を蒔き踊りながら祈る、飾らない動き。

 多分、こんな風に、美しいSFデザインと架空世界を想定しながら、世界に流れる時間をアクションに寸断されることなく味わえるような作品はあまり存在しなかったように思います。

 あえて、例えるなら、ルーカスの世界を、ヴェンダースの眼を持って切り取った映像に、美しく優しいファンタジーの物語を加えた映画。決してスペクタクルな映像に傾かず、主人公たちと、描かれる世界に流れる時間に寄り添った、美しい映像。本当に上質な工芸品のような。


©EDIT

 そして何より、この映画が持つ映画としての凄みは、こういう要素が全て、一つの構図、一つの構造を示すために、使われていることだと思うのです。

 映画の全編に渡って、殆どあらゆるシーン、あらゆる場面が、たった一つのシンプルな構図、"美しくささやかな物と、それを踏みにじる様な恐ろしい物の対立"という構図を描き続けているのが、この映画なのです。二人の主人公の造形はもちろん、主人公たちが自然の中を旅するシーンも、雨の中立ちすくむ場面も、あらゆる場面でこの構図が示され続けている。

 この繰り返しが生む効果が、映画のラスト近辺の"ささやかな物と、それを踏みにじる様な恐ろしい物"を同時に備えた存在が登場するシーンに強烈な磁力を与えています。同時にそれは、エンディングの物語の解決に、強い力を与えてもいます。
 


 映画が描くのは"美しくささやかな物と、それを踏みにじる様な恐ろしい物"という構図ですけれど、映画にとって重要なのは、この構図を象徴する物は、常に変わり続け、時には立場を変える、ということなのではないでしょうか。

 ある時にはささやかな物を象徴していた物が、ある時には恐ろしい物を象徴する物に変わっていくーー。この象徴する物の互換性こそが、この映画の真骨頂であり、同じシンプル極まる構図がひたすらに重ねられることの理由になっているのです。

 ある時には、ささやかな祈りを象徴していた筈の自然が、ある時には荒涼とした恐ろしい物へと変わる。ある時には、全てを踏みにじる恐ろしい物を象徴していた筈の軍人が、雨の中ではとてもささやかな物に見える。物語の中で、ささやかな物であった筈の詩女が、恐ろしい物となって軍人を圧倒する。

 自然を象徴していた筈の巫女が、荒涼と恐ろしくさえ見える大地と対峙する様に、飾りなく躍りながら祈るシーンは、この映画の白眉でしょう(余談ですが神が明示されず、けれども祈りが映画の中心に置かれるというのも、この映画の面白いところです)。

このように、映画が意味の担い手をずらしながら、対立構図が描かき続けるとき、対立の持つ意味さえ、解体されるかに見えます。ささやかなものと、恐ろしいもの、という対立の持っていた恣意的な意味は、ただ、対立する何かと何かの間にある緊張関係へと変わります。

こうして生成された対立は、構図を構成する意味と意味、意味を担う要素と要素の差異を強調するのです。

 極端なことを言えば、映画が表現し続けるのは、たった一つのシンプルな対立構図だけ。けれど構図を常に示しつつ、構造の実在を見せながら、この構造の中で特定の意味を担う存在が、特定の要素である必要はないことを、映画は静かに訴えるのです。そして、小さく平面的な構図は、個々の役割をその時々で担う存在を媒介に、立体的な広がりを持った構造となって映画全体を貫きます。

 単純なテーマを、単純な物語を通して、映像の中で延々繰り返すことで、映画は重い力を持った映画になる、というこの作りは、監督の映画に対する強烈な信念の所産だと思います。

一つの構図を、殆ど全てのカットに丹念に織り込むことで立ち現れてくる構造の力強さ。そして、ただひたすらそれだけを繰り返すことで、映像が映画になるのだ、という強烈な信念に支えられた作りこそ、この映画を傑作にしているのだ、と。


 
ラスト付近、映画唯一のアクションシーンで、恐ろしい兵器を、主人公の巫女は「美しい」と形容します。それは、彼女(そして観客が)が二つの対立する意味を、その差異を認めたまま、同時に一つの象徴の中に読み取る瞬間です。

花の姿を持ったその存在は、途方もなく美しく、恐ろしい力を秘めています。それは、敵を蹂躙する恐ろしい物です。しかし同時に、それは敵に打ち倒されかねない細やかなものでもあるのです。 

この一連のアクションシーンで、二人の主人公は、それぞれが、恐ろしい物の中に潜む美しさを認め、そして、美しい戦闘兵器に潜む恐ろしさを自覚します(アクションシーンは短い物ですが、長いものになれば、こういう構図をぶち壊してしまいかねないでしょう)

 この時に、映画が繰り返した構造は、一つの大きな物として統合され、主人公たちは自分の立場を確かめつつ、存在にある二つの対極を理解し、その二つの違いを保ったまま、お互いを受け入れることでができる様になります。

映画のラストで、二人はお互いを尊重しますが、同時に互いの立場の違いを明確に表明します。それは毒を超越した健全なドラマであり、希望の物語です。 



繰り返されてきた構図の意味を理解し、自分の中に互いの存在を受け入れた主人公たちは、これからの未来で、理想と現実を、二つながらに受け入れて戦っていけるかもしれない。対極にある存在のどちらもが矛盾しながら、同時に存在るすことを許容し、どちらもを捨てることなく、生きていけるのかもしれない。映画のラストのシーンでは二人の表情と台詞の中でそのことが暗示されます。

 この後押しは、主人公だけでなく、観客に向けられた物ののように思えます。観客にも、その様に生きる可能性を示しているのだと。この、観客への目配り、という意味で、この映画は優れた児童文学的なファンタジーといえるでしょう。 
 


 映画のエンディングで、観客が取り残される場所、そして、その後に聞く音と風景。この間に観客が味わう圧縮された感覚こそ、映画が構図を静かに、セリフではなく映像として繰り返してきた理由なのだ、と。

 この感覚の押し付けのなさ、そっとした静かな力強さ、それは映画が築き上げてきた物のちからです。

 映画の持つ対立の全てが、映画の独自の時間と美しさに包み込まれていることで、差異を持った意味を二つながらに受け入れることの説得力が増すのです。



 映画『ゴティックメード 花の詩女』は、優れたアニメーションと音響に支えられた、素晴らしい映像体験を提供する作品です。『ゴティックメード』の魅力は数多いです。登場人物のちょっとした動きに込められたキャラクタの歴史や、素朴に見えて練りこまれた脚本の妙、それに濃密な演出の数々。或いは、祈りに中心をにした物語作りに見える、作者の祈りに対する考え方や、踊りの意味。中でも、強烈なインパクトを残す音響効果は、それだけでこの映画を映画史に残す価値を生んでいます。もちろん私が書いた以上の読みの可能性も豊かに持っていました。

 けれど、私にとって、この映画を「いい映画だな〜」と感じてしまった理由は、何よりこの映画が、自分自身に忠実であろうと努めた映画なのだ、という点だったのです。

いささか牽強付会かもしれませんが、今こそ"映画"としての『ゴティックメード 花の詩女』への想いを纏めたくて書かせていただきました。

 観る機会の少ない作品ですが、ぜひ、多くのの方に見て欲しいです。







 




この映画は監督の意見により、あらゆるメディアでの発売の可能性がない事が発表されています。つまり、映画館で見る以外見る手段はありません。カドカワという大手が21世紀に製作した映画とは思えない驚異的な方針です。
現在、映画は"ドリパス"という映画の再上映をオンデマンドで映画館に求めるウェブサービスを通じて年に数回ほど、上映されています。ぜひ、気になった方はこちらをチェックしてみてください。


2015/08/21時点では、ウェブサイトが各地の劇場と交渉に入った段階で、こののちに上映劇場が決まればチケットが販売され、一定数に届けば上映が決定される、という段階です。



映画『ゴティックメード 花の詩女』は漫画作品『ファイブスター物語』に連なる作品です
が、単独の映画として、本当に優れて上質な映画です。エンディング後にファンサービス的な描写がありますが、理解できなくても映画の本質には深くは関わりません。冒頭に書いた通り、映画ファン、ファンタジーファンの方にこそ見て欲しい、と思える作品です。ぜひ、『ファイブスター物語』を知らないまま、ご覧になってください。

また、ファイブスター物語13巻を読まれた方でこれから『ゴティックメード』を観るという方は、一度FSSの事を忘れてからみても良いかも…と思います。



東京無主格少女

※ 押井守監督の映画『東京無国籍少女』の二次創作百合小説です。原作とは大幅に異なります。※

 
 東京無主格少女 保健医の省察



 肉が動いた後で、雷が連続して短い間隔に断続して光って、肉の動きは静止画の集合に変わった。肉だけが暗闇の中に実在して、光も意識もなく生きる、長い断絶の世界は、獣の世界だった。

 光が埃になって、煙っていた。明るさが増せば増すほど、曖昧な白が領域を増やしていった。時計も、機構部のうえに嵌め殺された硝子が光に反射して、何も見えなかった。スチールの薬棚、机の上の志の無い日誌、眠っている鉗子と消毒液、軟膏の瓶の都市。それに囲まれたデスクの上の白いマグカップの奥まったところで濡れているコーヒーさえ、光を複雑に反射して、表面の7割ほどが、白っぽく見えた。室内には白衣を着た保健医と、一人の生徒がいた。
 「先生、この薬、麻酔でしょう?」濃紺のジャンパースカートを鎧ってポスターを筒状に抱えた生徒が、いった。保健室には何故か種々のポスターが集まってくる。ポスターが、ポスターを呼び、ポスターを貼りたい人間を呼ぶのだと、保健医は語ったことがあった。少し角ばった指を持つ女性の生徒を、保険医は知らなかった。生徒が微笑みながら見ているのは、ドラッグ禁止のポスターで、生徒が指さすのは、そのポスターの真横のスツールで、そこには麻酔薬が置いてあった。
 「みんな、勝手に貼っていくからね」笑いを混ぜて保健医が言った。それを聞いて息を漏らす生徒を見て、保険医は微笑みを漏らした。「両面テープは棚の下にあるから」と保健医が声を掛けると、彼女はもう居ない。ポスターが一枚増えているか、確認しようとしたけれど、壁面を見て、保険医は調査を断念した。
 私は次第に意識を使わず体だけで生きられるようになっている、それは獣の世界だ。保健医は声に出して呟いた。
 美術実習の中でも、危険の多いと判断された授業を回診して経巡った後、に保健医が保健室に戻ると、室内の白い世界の中に黄金色のハイライトが混じっていた。それから、保険医は目を顰めて、胸に手を触れた。足早に窓際に寄ると、窓の外を行く生徒が誰も居ないことに気づき、次に保健医は窓の表面に浮いた汚れを見つめた。保健医はその窓を開けた。
 部屋の端、一番廊下側のベッドに保健医が寄ると、乱れた跡があり、ため息をついた。布団は降ろされたまま、変わりはなかったけれど、シーツに触れると、微かに湿っていた。真四角に湿り気の少ない部分が、下の方にあって、保険医は頬を緩めた。保健医は新しいシーツを棚から降ろす。
 教頭が保健室の中でまだ立ち尽くしているの見て、保健医は眉の間のシワを深くした。教頭が保健医に構わず、貴女の若い頃は、どうでしたか、と、保健医に尋ねた。保健医はしばらく黙ったけれど、教頭はそれ以上の声を発さなかったし、身じろぎもしなかった。保健医は、同級生が、愛おしかったですね、それに、怒っていましたよ、明確ではないものに、と答えた。
 それは、なんだったのですか。
 先ほど申し上げたとおり、曖昧なものです、曖昧なので、可能性が発散して、制御ができなかったものです。
 教頭は黙って何も言わなくなり、保健医は黙ったまま壁の時計を見つめた。
 あの子が、そろそろ来る時間ですか、教頭が尋ねた。あの子の体の不調は、つまり幻聴や不眠は、あの子の体の中の怒りや闘争心を、封じ込めるためのものだと、私はおもっていました。正常になれば、あの子はあの子ではいられなくなる、と、と教頭が言った。保健医はそれを聞いて、体を震わせた。
 気がつくと、室内から黄金色の光が消えて、青い光が入ってきていた。保険医が額に指を当てると、皮膚の畝の深みを感じる。

 茶色に濁った健康的な肌から、血を流す女性たちの手当てを、保健医はした。今日だけで、怪我をした生徒を5人は見ていた。専門学校だから、ナイフで手を少し切っただのなんだの、その手の不注意は多かった。生徒たちは爪は毎日ヤスリで磨き、時に校則違反のマニュキュアまで塗りつけて、長く伸びてきた指の関節の辺りに奇妙で小さい傷をこしらえていた。保健医は廊下を軽い足取りで駆けていく彼女たちを、立ち止まって見つめていた。
 彼女たちは、何とそうも戦っているのでしょうかねぇ、傷付くのは、戦っているからでしょう、と教師が言った。保健医は顔を上げずに、横目で教師を見た。私は、普通である事を信じている人間と、戦っていましたよ、私は普通だと言って、人の生存を阻害する人たちとです。
 教師がため息を漏らして眼鏡を直すのを、保健医がちらりと見る、と、保健室の時計が5時を指している。デスクの帳面を確認すると、保健医はさらに2名の生徒を診察していた。怪我一名、腹痛一名、これは生理だった。彼女の名前と今日の日付を確かめて、保健医の指が机をゆっくりと叩いていた。

 自宅に入ると、天井から降りたランプが、煌々と中途半端な和様の部屋を照らしていた。時刻は8時だが、彼女はまだ帰っていなかった。雑に物をしまった大きな鞄から、スマフォを抜き出したけれど、何の連絡も確認できず、スマフォを再び鞄に突っ込み直した。今日の3時には、遅くなる家に帰るなら冷凍庫に冷凍食品が入っているから、と連絡したのだが、その返信も何も、無かった。
 彼女も忙しいのだからと、自分に言い訳を効かせるほど、若くは無かった。純粋に、こう振る舞える女性なのだ、彼女は、と思った。今ではそれがわかってしまっていた。それは気楽な事でもあった。生きて、磨耗してきたから、見える光景だと、考ええていた。
 年をとると、楽になる、外に期待しなくていいのだ、自分の中に溜まっている物の方が、外にある物より多くなる、学校の生徒たちは、それがないから外と戦おうとするのか、彼女たちの煩悩は、それでいて内面を表現する芸術を作らねばならない、という思い込みからくるのかもしれ無い、卓袱台の前の座布団に座り込みながら、こんな風に思いを巡らせていた。思いは、途切れる事なく、複数のラインで走っていた。当時の自分が怒っていたのは、社会と繋がらなければ自分を保てないのに、社会が当時の自分を受け入れるわけのない存在だったからか、もっとも、怒りは今の方が明瞭に、わかりやい形で胸にしこっていた、だからこそ、御し易いとも言えた。
 自分がいつの間にかに煙草を吸っていた事に気づき、煙を見つめ始めていた。一人の生徒の姿が、その胸に思い浮かんだ。彼女は、他の生徒たちと違って、自分の内面にある物、体の内側にある物が大きすぎ、見えないのかもしれない。
 救いを求めるように、修道士のように、工具で金属を殴り続ける彼女は、自分の内側の獣を見つめるのが怖いのだろう、そこまではわかったような気がするけれど、そこから先はわから無かったし、どうしてやれば良いかも、分から無かった、つまり結局は、いずれ破局するのだろう、年をとった割に、何もわかっていないではないか、彼女、そう、今日もなんの連絡をよこさず、朝には布団に丸まっている算段らしい彼女には、文句の一つくらい行った方がいいのかもしれない。
 スマフォを取り出そうとして、鞄に手を入れ、中に入っていた書類で皮膚を傷つけた。

 講堂の扉の重厚さは、重く蕩けた廊下の白さに調和していた。扉の、焼鏝の熱さを持つ把手を前に躊躇った時、中から声が聞こえ、保険医は息を漏らして廊下の角に背を預けた。中に入っているのは、いつもの鳥めいた老人の教頭と、魚の目をした教師だった。
 彼女は、よくやっているようですが。割れたドラムを叩いたような声は、老人の声だった。あの医者は生徒に特別な関心を抱いているようですから。教師は言葉の一部を無意味に強調するのが好きだった。話の中心は、保険医の事らしかった。
 その後延々、会話が続いていた。保険医は白衣のポケットから文庫本と、マッチとタバコを取り出して、片手で火をつけた。昔の恋人の女性に教えてもらったやり方だった。
 煙草を吸い終えて携帯灰皿に落とし込み、文庫本を30ページほど読み終わったところで、教師の方が出てきて私を見て驚いて見せた。長々と、いるとは思わなかった、と、人を責めるように言った後で、藍くんを頼みます私の可愛い生徒ですから、と私のという言葉を強調して白々しく言った。その後でさらに半眼で保険医を値踏みして見せると、如何わしい道に生徒を誘い込むのはやめてくださいね、と嫌みたらしく言って、如何わしいとなんのことですか、と保険医が聞くと、黙って去って行った。
 教師が去って行ったのを見送って、再び文庫本に目を落として、10ページも読み終わった頃に、講堂の扉を開けて中を覗き込むと、布が被せられた大きなオブジェ以外、そこには何もなく、誰もいなかった。保険医は文庫本をポケットにしまい込んで、保健室で帰り支度を始める事にした。

 眠っている生徒の顔の上に、白い光が差し込んで、石膏の彫像に見えた。シーツの皺も、無闇に彫刻家の腕を誇示するための、バロック趣味の作為的な物に見えなくもない。
 彼女の首筋を見ると、病的に痩せているのがよくわかる。皮膚の下を、空気が通り抜けていくのが見えるように思えた。少し力を加えれば、彼女はきっと死ぬだろう。
 ベッド際の窓枠に体を預けて、本を開くと、そのページの上に、眠る前の彼女の姿が浮かぶ。暴れる彼女を後ろから抱いた時、細く、骨と皮に削がれた肉の下に、張り詰めた筋肉の残滓があって、驚いた。彼女が体を痛めつけるように暮らすのは、彼女の肉に潜む何かが怖いからだ、と考えていたが、肉の内側の世界は、人の意識が消せる物ではないのかもしれない。
 いずれ彼女の意識を飲み込んで、彼女の肉体が反逆するのなら、せめてその反逆を意味のある物にしてやるべきなのではないか……。
 もう何ヶ月も生理が止まっているというのに、彼女はそれを気にせず、喜んでいた。月の物が苦痛に満ちているのは当然だけれど、生理を男との関係でしか捉えられ無いのなら、それは違うと言ってやりたかった。
 社会の馬鹿どもがそれとなく暗示するように、貴女の体は、男の為にあるわけではない。それが普通なわけでさえない。女を愛していい、誰も愛さなくてもいい。ただ、世界が男の為にある様な、そんなくだら無い象徴体系の中に絡め取られているのを見るのは、辛かった。思い込みだろうか。戦いを、彼女の不思議な戦いを、支援してやろうと思った。責任を、引き受けてやるべきではないかとも、思った。
 彼女の顔が大理石に見えたのは、唇の色の薄さの性だと気がついたのは、 文庫本を閉じ、寝乱れたシーツをそっと直す時だった。
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