■一千一頁物語

一瞬を凍らせる短歌やスナップショットのように生きたいブログ

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ガッチャマン・クラウズ インサイト 私たちというヒーロー


□ガッチャマン・クラウズ インサイト1話2話感想

 "今、ここ"の日本の社会を語ろうと、その意思に溢れ、同時に陰鬱でないポップな感性に溢れた世界の作品です。
社会をを語る為の要素が次から次へと繰り出してきて、刺激的。そして勇敢で気高いアニメでもあって。

 可視化される心と同調圧力、ネット選挙に選挙年齢引き下げ。政治的に対立しながら、大衆への失望の念を一致させる人物たち、そして普通の人々。戦争体験と浮ついた心、平和を担う意思。全ての人間を信頼したヒーロー。過激派平和主義者をうそぶくテロリスト。
 多くの要素が次々と目まぐるしく、明るい奇抜な画面の中を駆け抜けていく疾走感。真正面から社会を語ろうとする意思は、要素の扱い方に異論はあっても、受け手に真剣な考えを促していて、力強いものです。

 インサイトは前作ガッチャマン・クラウズのシーズン2。ガッチャマン・クラウズは平たく言えば、大衆から隠れ大衆を守りながら同時に大衆に期待しないヒーロー達が、自らを大衆の前に晒して、人々を信頼して、最後にはヒーローの力さえ全ての人に渡されて、誰もがヒーローになるまでの理想めいた物語。人の醜さをきちんと描きながら、それでもなお、人への信頼の理想を掲げたい中村健治監督の気高い物語。
 ガッチャマン・クラウズ インサイトは、内観、のタイトルが示す通り前作で提示された希望とヒーロー像を再考する様な物語になっています。新たに登場した2人のヴィランの造形にはそっれが顕著。けれど、この作品でのヒーローとは、人々すべてで、つまりは観客を含めた私たちの事。
 そう、だから、前作を見てからこの作品を見る私たちは、自分を視聴者の高みに置いて物事を語る事を許されません。インサイトされ、問われているのは私たちで、私たちの立場はヒーローなのですから。これは恐ろしい仕掛けです。見方によっては卑怯なくらいに。
  でも、監督の気概は確かで、そんな立場にまで追い詰められて初めて見える自分もあるのかもしれないと、強く感じる気もするのです。

 
 少なくとも、今の世界には、大衆への失望を描いた作品に溢れています。売れている作品の多くは、民衆の主体性を嘲る内容に満ちています。
 物語の多くは、絶望を受け入れた上で、そこから抜け出した自分たちがどう行動するか、というとこから始まっています。
 だからこそ、そうじゃない、そうじゃないんだ、と絶望それ自身に打ち勝とうするドンキホーテのような中村健治監督の姿は、ひどく尊く感じられてしまうのです。そして、その立場を共有した上で問いかけてくる問いには、きっと答える価値がある筈で。誰もそれをしないし、誰もそんな理想を信じていないのだから。

 かつて、小説家の中井英夫は戦後日本を描いた小説『虚無への供物』の中で「犯人は読者だ」とその絶望と感慨を存分に語ったと同じ口調で、中村健治監督は「ヒーローはあなた達だ」と語りかけてきました。
 安保法案が審議され、憲法が蠢いて、けれど一方で多くの人がデモに参加し、あるいはLGBTの権利が注目され、こんな反宇宙の世界で、その言葉の価値は計り知れないほど大きい筈です。
 中村監督が絶望を踏まえた上で、震災の薄れていく今に、どんな事を語ろうとするのか。私はそれを見ていたいのです。そこに希望を感じたいのです。二年前、不覚にも中村監督の不器用な理想の声に泣いてしまった、ヒーローと呼び掛けられた1人として。

ガッチャマン・クラウズ インサイト 公式サイト

既にHuluを始め各種配信サイト、おとび東京圏では放映が始まっていますけれども、BSでは7/15日から放送開始です。

□罠はいつもお手元に

魚月月夜

 最近殺人が増えているよね、なんだかね、そんな感じがして、嫌だよ、本当に。テーブルの右から、それこそ殺人的な言葉が黒々と滲んでくる。私はそちらを向かない。それは罠だから。迷宮の奥で、宝箱をこれ見よがし、近づく冒険者の頭を撥ね飛ばす処刑器具。
 え?それで、その方はどうなったのですか?私は私の会話に集中した。目の前の相手のネクタイに描かれた猫の数を数えながら。
 うん、結局鯨に呑まれたんじゃないかって、その会社では噂でね、おかしいよね、鯨はオキアミしかのまないのに、ほら、歯みたいな髭が口に生えてて選別するんだよ、小魚だけをね。両手の指をつかって髭と、小魚、それに大きな魚――もしかするとかわいそうな人間――を演じる彼の手の動きに、私は集中して見入る。
 ですよね、私だって、深刻に考えちゃいますもん、何がいけないんだろうって。最前に別の声が重なる。ああ、これも罠だ。考えてはいけないのだ。私は知っている。
 例えばここで、え、そもそも前提がおかしいです、今年の殺人事件は戦後最小件数です、全体ではずっと減ってます、殺人なんて、といってしまえば、狂人は私で、途端に椅子が下ろされ、私は何処かへ連れて行かれてしまう。お前が薔薇を殺したのだ!と私の犯罪は指弾され、私は溢れ落ちる。理論的に喋るのは、狂人だけなのだ、鏡の外の、世界では。
 でも、鯨に当たったら、溺れちゃいますよね、きっと。私は彼と会話を続ける。彼はほとんど無害で、私にはない美徳で、それがとっても好きだった。彼と会話していれば、私は理性の世界に留まり続けていられるのだと、私は信じていられる。私は恐れず慎重に宝を探し当てる、冒険者ではなく、ただの市民だから。

□神殿の羊

神殿の羊

 僕の村ではアルテミアン羊が流行っていたんだ……と僕は旅の道連れであるドブネズミの君に話し掛けた。
 アルテミアン羊とは、ある小説に由来する人肉食の賢ぶった隠語で、僕の村では人肉食が行われていたという事を示している。ホントか嘘かは、分からない。解るような年齢になる前に、僕は村を出たから。正確に言えば、僕は村から追い出された。村での屈辱は、今も身体に深く刻まれていて、でも、細かいところは忘却している。それ以来、僕は旅を続けていた。ドブネズミの君と一緒に。
 僕は旅の途上、村で神様が死んだ事を知る。ずっと村の神様を守護していた魔術師が、神様を暴走させたのだと、ニュースは語っていた。ドブネズミの君は耳をTVに向けたまま、目だけは僕の方を振り向いていた。とっても大きな目で。
 僕はその村から無理やり追い出され、屈辱を受けた。いまさら、どんな未練があろう。しかし、僕はどうしても村へゆきたいと願う。なぜだろうか?きっと同じに見えたからだ。旅先でTVで観たその風景は、僕が追い出された時に見たものと、同じだった。違っていなくてはならない筈なのに。
 今、村は神様の透明な死肉に覆われて、人が行く事はかなわないというけれど。
 ドブネズミの君も、一緒に来るという。君も、来る必要はないのに。陽気そうな君は、一体どんな暗黒を抱えているのだろう。アルテミアン羊がはやり、今は死体と化した、僕の村。
 僕の村への旅路は遠い。だって、僕は村から逃げる旅を続けていたのだから。僕と、旅の途中で出会ったドブネズミの君は、一緒に旅を続けた。昔語りをしながら歩んでいく。村の先生の好物とか、初恋の人が嫌いだったものとか、両親の顔とか。
 ようやくたどり着いた村は、僕がTVで観たのとは大分違う光景だった。つまり、僕が村を追い出されたときに見たのとは大分違う、ということ。神様の死肉はもう腐って、実体化して、そこら中に散っていたし、そういうものを食べる動物も、そこら中にいた。豚とか、牛とか。ドブネズミの君と僕は、食べられないように慎重に神殿を目指したんだ。壊れた街は、巨人の死骸だった。街が延長された身体なら、瓦礫は死骸の欠片だ。
 やっとの事でたどり着いた神殿には、魔術士の死体が掲げられていた。まだ腐っていない。それを見て、僕はそれを引きずり下し、ひどく食べたくなった。特に理由はない。ドブネズミの君は、勝手にすれば、と言ったよね。
 この魔術師を村に呼んだのは、実は僕だったのかもしれない。そんな風だったら、僕の物語を埋めてくれるのになぁ、と思いながら、僕はその死体をむさぼった。
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