■一千一頁物語

一瞬を凍らせる短歌やスナップショットのように生きたいブログ

本の一ページを紹介するブックレビュー一千一頁物語 SSよりも瞬間的な創作小説SnapWritte スナップショットの感覚、短歌の精神で怖いものを探求したい…願望

□ガッチャマン 立川の雲

 そのアニメのタイトルを、彼は思い出せないけれど、彼はそれが好きだった。カラフルな世界なのに、話は重く、子供の頃の彼には社会的な物語に見えた。古い名作のリブートだった。今ではそのリブートの方が有名なスタンダードとなっている、という話を、聞いたこともあったな、とそんなことも思い出したけれど、名前は思い出せなかった。
 唐突にそれを思い出したのは、今彼がたっている立川の駅前の広場が、そのアニメによく出てきたからだ。二つのアーチが、何も支えず何にも支えられず、ただ無意味に地面から付き出て組み合いながら、広場を占拠していた。広場には人が少なかったけれど、東京都心に比べれば、という意味で、むしろ広場の大きさには、適切な人の密度のように、彼には感じられた。
 彼はしばらくそうして広場でたっていた。つまりはそこで彼は待ち合わせの約束をしていたので。ぼうっとしていると、彼は二人組の女性カップルに話しかけられた。広場のオブジェを背景に、写真を撮ってほしい、と彼女たちは申し訳なさそうに言って、彼に古いポロライドカメラを手渡した。
 写真を撮り終えると、カメラが真四角な紙を吐き出して、次第に紙の上に画像が現れた。彼はぽろらいどカメラの実物を観たことがなかったから、魔法みたいだ、と思い、ぽろらいどカメラしか知らない人間からしたら、デジタルカメラこそ魔法だろう、と思った。その珍しさと懐古趣味を褒め称える言葉を添えて、彼は彼女たちに、カメラと写真を手渡した。
 彼女たちは礼をいって、序でにここへ来たのは古いアニメのロケ地を訪ねるためだ、とも付け加えた。彼が何となく儀礼めいた空気を感じて、そのアニメのタイトルを尋ねてみると、ガッチャマンクラウズというタイトルの作品だと、彼女たちは言った。そのタイトルこそ、彼が思い出せないでいた物だったけれど、彼はなにも言わず、二人と別れて、待ち合わせの時間までどうしようかと思案を始めた。

ガッチャマン・クラウズ インサイト 私たちというヒーロー


□ガッチャマン・クラウズ インサイト1話2話感想

 "今、ここ"の日本の社会を語ろうと、その意思に溢れ、同時に陰鬱でないポップな感性に溢れた世界の作品です。
社会をを語る為の要素が次から次へと繰り出してきて、刺激的。そして勇敢で気高いアニメでもあって。

 可視化される心と同調圧力、ネット選挙に選挙年齢引き下げ。政治的に対立しながら、大衆への失望の念を一致させる人物たち、そして普通の人々。戦争体験と浮ついた心、平和を担う意思。全ての人間を信頼したヒーロー。過激派平和主義者をうそぶくテロリスト。
 多くの要素が次々と目まぐるしく、明るい奇抜な画面の中を駆け抜けていく疾走感。真正面から社会を語ろうとする意思は、要素の扱い方に異論はあっても、受け手に真剣な考えを促していて、力強いものです。

 インサイトは前作ガッチャマン・クラウズのシーズン2。ガッチャマン・クラウズは平たく言えば、大衆から隠れ大衆を守りながら同時に大衆に期待しないヒーロー達が、自らを大衆の前に晒して、人々を信頼して、最後にはヒーローの力さえ全ての人に渡されて、誰もがヒーローになるまでの理想めいた物語。人の醜さをきちんと描きながら、それでもなお、人への信頼の理想を掲げたい中村健治監督の気高い物語。
 ガッチャマン・クラウズ インサイトは、内観、のタイトルが示す通り前作で提示された希望とヒーロー像を再考する様な物語になっています。新たに登場した2人のヴィランの造形にはそっれが顕著。けれど、この作品でのヒーローとは、人々すべてで、つまりは観客を含めた私たちの事。
 そう、だから、前作を見てからこの作品を見る私たちは、自分を視聴者の高みに置いて物事を語る事を許されません。インサイトされ、問われているのは私たちで、私たちの立場はヒーローなのですから。これは恐ろしい仕掛けです。見方によっては卑怯なくらいに。
  でも、監督の気概は確かで、そんな立場にまで追い詰められて初めて見える自分もあるのかもしれないと、強く感じる気もするのです。

 
 少なくとも、今の世界には、大衆への失望を描いた作品に溢れています。売れている作品の多くは、民衆の主体性を嘲る内容に満ちています。
 物語の多くは、絶望を受け入れた上で、そこから抜け出した自分たちがどう行動するか、というとこから始まっています。
 だからこそ、そうじゃない、そうじゃないんだ、と絶望それ自身に打ち勝とうするドンキホーテのような中村健治監督の姿は、ひどく尊く感じられてしまうのです。そして、その立場を共有した上で問いかけてくる問いには、きっと答える価値がある筈で。誰もそれをしないし、誰もそんな理想を信じていないのだから。

 かつて、小説家の中井英夫は戦後日本を描いた小説『虚無への供物』の中で「犯人は読者だ」とその絶望と感慨を存分に語ったと同じ口調で、中村健治監督は「ヒーローはあなた達だ」と語りかけてきました。
 安保法案が審議され、憲法が蠢いて、けれど一方で多くの人がデモに参加し、あるいはLGBTの権利が注目され、こんな反宇宙の世界で、その言葉の価値は計り知れないほど大きい筈です。
 中村監督が絶望を踏まえた上で、震災の薄れていく今に、どんな事を語ろうとするのか。私はそれを見ていたいのです。そこに希望を感じたいのです。二年前、不覚にも中村監督の不器用な理想の声に泣いてしまった、ヒーローと呼び掛けられた1人として。

ガッチャマン・クラウズ インサイト 公式サイト

既にHuluを始め各種配信サイト、おとび東京圏では放映が始まっていますけれども、BSでは7/15日から放送開始です。

□罠はいつもお手元に

魚月月夜

 最近殺人が増えているよね、なんだかね、そんな感じがして、嫌だよ、本当に。テーブルの右から、それこそ殺人的な言葉が黒々と滲んでくる。私はそちらを向かない。それは罠だから。迷宮の奥で、宝箱をこれ見よがし、近づく冒険者の頭を撥ね飛ばす処刑器具。
 え?それで、その方はどうなったのですか?私は私の会話に集中した。目の前の相手のネクタイに描かれた猫の数を数えながら。
 うん、結局鯨に呑まれたんじゃないかって、その会社では噂でね、おかしいよね、鯨はオキアミしかのまないのに、ほら、歯みたいな髭が口に生えてて選別するんだよ、小魚だけをね。両手の指をつかって髭と、小魚、それに大きな魚――もしかするとかわいそうな人間――を演じる彼の手の動きに、私は集中して見入る。
 ですよね、私だって、深刻に考えちゃいますもん、何がいけないんだろうって。最前に別の声が重なる。ああ、これも罠だ。考えてはいけないのだ。私は知っている。
 例えばここで、え、そもそも前提がおかしいです、今年の殺人事件は戦後最小件数です、全体ではずっと減ってます、殺人なんて、といってしまえば、狂人は私で、途端に椅子が下ろされ、私は何処かへ連れて行かれてしまう。お前が薔薇を殺したのだ!と私の犯罪は指弾され、私は溢れ落ちる。理論的に喋るのは、狂人だけなのだ、鏡の外の、世界では。
 でも、鯨に当たったら、溺れちゃいますよね、きっと。私は彼と会話を続ける。彼はほとんど無害で、私にはない美徳で、それがとっても好きだった。彼と会話していれば、私は理性の世界に留まり続けていられるのだと、私は信じていられる。私は恐れず慎重に宝を探し当てる、冒険者ではなく、ただの市民だから。
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