■一千一頁物語

一瞬を凍らせる短歌やスナップショットのように生きたいブログ

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K.Wジーター『ドクターアダー』ネットワークと権力と内臓燦々

 
作者:K.Wジーター
書籍名:ドクター・アダー
頁番号:169p


 1970年代、ベトナム戦争に疲弊し、アメリカはデタントを開始する。
冷戦の世界構造は残された中、第三世界が次第に台頭を始め、東西は歩み寄る。
非プロテスタント教徒のケネディ大統領は、米国に残る保守的な価値観を改革する。
ベトナム戦争を終えたアメリカで、自由の声と、経済的な社会の混乱が始まる。
光と影。
 抑圧を解消する価値観と、犯罪とドラッグ、愛と平和。人の体臭が変わっていく。
光も影も、古き良き抑圧を穢す陰だと罵る声が聞こえ出す。
 時同じくして、米国の通信委員は、TV放送における宗教活動の有料化を認め、宗教放送はスポンサー付きの放送となり、TV局はTV伝教師の姿を伝える。
 彼らはTVから神の声を伝え、神の商品を売る。
 彼らが伝えるのは、自由と開放を前に混乱し、ベトナム戦争に傷ついたアメリカを癒す、保守的で強烈で差別をも蘇らせる、神の教え。男女は同権ではなく、中絶は廃止され、同性愛は裁かれ、家族は蘇る。彼らはそう語った。保守の代弁者神の代弁者。
 1970年代、そうした時代が始まる時期に、K・Wジータは一編の小説を書き上げる。
 ドクターアダー。世界初のサイバーパンク小説の一つ。
 世界を貫通する内臓を曝け出した文書と物語。
 出版まで、10年の時を要した。

 未来のLAのアーケードに、歪な身体を抱えた娼婦が立ち並ぶ。
 彼女たちを歪に作り上げたのは、無類の感応力を備えた外科医ドクター・アダー。
 LAのインフラには、TV放映網が隅々まで敷かれている。TV伝道師の言葉を伝えるために。
二つの存在は対立しながら均衡している。
 カリフォルニアの養遺伝子改造鶏牧場兼鶏姦場(文字通りの)から一人の青年が、権力の妄想と神話を具現化した過去の兵器を携えてLAを訪れる……。
 暴かれていくのは、二つの対立が、父権の名の下に、欲望が内臓を経由して絡み合う世界。
その合間で散乱する燦爛たる内臓の山。

 この一ページは、その内臓が炸裂した一場面。アダーの物語は、こんな悪夢的な臓物イメージが充溢している。内臓を隠し、批判する事で成立する権力を保持するための欲望が、却って暴力を望み、内臓を世界に拡散させる。ドクターアダーのドクターアダーたる所以の強烈なイメージの場面。
 人が人でありながら、人としての機能を失い、その内臓に触れる感触。それをさせる情動に籠る熱い欲望が、権力と権力構造の中で暮らす自分の中に組み込まれているのではないかという疑惑。そして、全ての欲望は、内臓を経由して世界に顕れる。
 アダーの物語は、臓器の物語。地下水道に眠る隕石とともに訪れた解読不能な暗号を送る奇妙なエイリアンは、言葉と肉体を排泄し続ける。麻薬を作る医師が暮らす、汚濁にまみれた空間では、生物と細菌が人間の則を超えて繁栄する。
 そもそも、舞台となる未来のLA自身が、明らかに内臓の暗喩として作られている。
凄惨な臓器は、人から隠匿されながら、人の汚辱を一身に担う。どんな人間=システムも、その臓器を通さずには世界に存続し得ない。
 身体ではなく、臓器こそが、この小説にとって問題だった。
 そのドクターアダーの解剖学は、ネットワークにも及ぶ。サイバーパンク小説たるアダーにおける"ハッキング"は、その先にあるデータの奪い合いというよりもむしろ、データを取り結ぶネットワークそれ自体にメインが置かれる。

 考えてみるまでもなく、私たちの現在のネットワークだって、世界の地下に埋まったコード=腸によって成立している。この言葉だって、臓器たる電力ケーブルとネットワーク回線によって送られ、受信されているのだから、アダーの思考の射程範囲は、恐ろしく広いのだ。
そして、アダーは欲望と内臓をもって世界に反逆を示すだけでなく、非欲望非内臓的ネットワークをも、描き出そうとする。物語を終える言葉は、非内臓的なネットワークによって伝えられる。それは権力と欲望の末に現れる反権力の究極かもしれない。
 強烈な言葉と、強烈なイメージが錯乱する、巨大権力の時代に執筆された小説ドクターアダーは、内臓を経由して世界の欲望を指摘し、更にそこから、実に70年代的アイテムで脱出しようと試みる。
その非内臓性は、あるいは現代のWifi機器同士を無線で直接つなぎ、ネットワークを構築してみせるWifi P2Pという技術を思い起こさせる。事実、P2P技術は常にネットの反権力の手段でもあり犯罪の手段であり、サバイバルの手段でもあった。常に議論を呼ぶハッカー集団アノニマスが監視と経済の手を拒絶する為に開発している技術も、無線P2Pを基礎にしている。
 実に、ドクターアダーの語る、内臓という概念はネットワークという問題を貫通して様々な思考の地平を現代に至るまで開いていく。
 ドクターアダーの内臓の思考は権力の構造を暴き、その先の反権力な未来を描こうとし見せた。
 そこに希望が、あるのか、ないのか。未だに、内臓に欲望を託し、政治を託し、権力を託し、反逆を託し、それでいながら内臓を秘匿する一族に属する、そんな私には未だに分からないけれど、だからこそ、この小説が今まさに燦然と輝く事はよくわかる。

 なんといっても、未だに世界は地下に埋没した内臓群の事を"クラウド"と呼び、言葉だけを空に打ち上げて無意識的な欺瞞を続けているのだから。



稲垣 足穂

アナロジーが許すなら、稲垣足穂はA感覚という概念で臓器という存在をハッキングしたのかもしれない。非内臓性ばかりが反権力の手段ではない筈。内臓なき人間は生存できるのかしら。内臓の思考は続いていく。

オースン・スコット・カード『ソング・マスター』無自覚がもたらす予期せぬ奇跡

  ソングマスター (ハヤカワ文庫 SF 550)

遥か未来の、抑圧的な帝政の時代、1人のゲイ寄りのバイセクシュアル男性(自分ながら何割かはゲイで何割かはヘテロだと語る)が、抑圧への苦悩を叫ぶ。偏見を指弾する。
 純粋で、純正な愛と、愛を抑圧する人間の愚かさ(もしかすると賢さ)が招く悲劇…。SFの形をとりながら、オースンスコットカードの『ソングマスター』は、そうした社会を非難する…としか読みようのない物語を描き出す。
 歌う少年少女を世界に送り出す機関(歌うジェダイ)、そして彼ら彼女らを望む権力者。物語はこの2つの設定を柱に、壮麗な才能と愛の、複雑な力学を描き出していく。
 それは、同性愛の問題に留まらず、人間の感じ易すぎる心の針が、愛のレコードに刻まれた溝をたどるときの、強烈な波動がもたらす物の、物語。
 スコットカードが、無伴奏ソナタなどでとる、抑圧され吹き飛ばされるマイノリティに対する深い眼差しを、愛の物語に向けたとき、そこに同性愛というテーマが浮き上がってくるのは必然だったのだ、と思う。
 彼の持つ詩的な文章の力能で、異性に限らない愛をを美しく強く讃えることも、必然だったのだ、と。
 SFと同性愛と、愛の物語が、ここまで高いレベルで、そして自然に融和した物語は数少ないと思う。そしてここまでロマンス詩的な物語も(そこに80年代の男性作家らしい無知と傲慢が潜んではいても)。

 と…話がここで終われば、いいのだけれど、しかし、不思議な事に、オースンスコットカードは強烈な反同性愛・反同性婚論者として、米国では知られている。
厳格なモルモン教徒として、彼は頑なに、それに反抗している。彼の代表作である長編小説『エンダーのゲーム』(元は無伴奏ソナタの短編だけど)が近年映画化された際には、彼の同性愛に対する態度から性的マイノリティ団体の主導で不買運動が起こり、製作会社のワーナーが、自身には一切同性愛を否定する意思はないと、弁明する事態が起きた。
 どうして、こんなにも正反対な事が起こり得るの、だろう。確かに、『ソングマスター』を読めば、そこには不勉強と偏見が隠れている事は、良くわかるけれど、それにしても、これほどの事が起きる様なものでは決してなくて…。
 作家と、作品は、無関係だ。作家がどんな人間でも、作品の輝きは薄れない。反差別を訴える作家が驚くような無知で差別を描くこともあれば、作品の中の登場人物が差別的な作者の意志に反して、差別を糾弾することもある。それでも、ここまでの、作家のズレが起こるなんて、とても不思議で、絶望的にも思える。

けれど、もしかすると、それは奇跡で、不寛容に対抗する希望なのかもしれない。少なくとも、そこには不寛容の意志から寛容の種子が生まれているのだから。


オースン スコット カード
2014-04-01
初めて読んだのは多分小学生の時。どれほど押さえつけられても、どうしようもなく生き残る者たちの姿と音に、ひどく打たれる。

◼︎ロサキネンシス

 彼は薔薇を育てることに心血を注いでいるらしいのだけど、薔薇の形態的な要素、外見については全く関心を示さない。薔薇を育てるには、薔薇の様子に気遣わないといけないのに、外見を評することが全く無いのは不思議なのだけど、この日も、薔薇の奇形に気がついたのは僕が先だったのだ。
 この薔薇一輪だけ双子みたいだよ、ほら、ひとつの茎なのに、真ん中が二つ。僕は居間で新聞を読んでいる彼に、ベランダの開けた窓から話しかける。彼が気づいていないであろう事は指摘しない。すると何故か不機嫌になるから。
 ああ、ほんとだ、珍しいね、時々あるみたいだけど。彼は新聞から目を上げて、眼鏡の位置を調節する。この頃彼は老眼で、僕は心配だった。
 時々?珍しい?どっちなの、それ、えっと、そうじゃなくって、これって、このまま育つ?僕はそうなったら、僕ら二人みたいでロマンティックだな、なんて呑気な事を頭の片隅で考えている。彼は年を取っていたけど綺麗だった。
 ううん、たぶん、ダメだね、大抵片方がもう片方を飲み込むからね、最後には大きな一輪の薔薇になるんだ、たぶん。育てている薔薇の外見に拘らない癖に、知識は豊富なのだ。そういう所がチグハグで、面白い。僕は彼が好ましかった。
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