魚月月夜

 最近殺人が増えているよね、なんだかね、そんな感じがして、嫌だよ、本当に。テーブルの右から、それこそ殺人的な言葉が黒々と滲んでくる。私はそちらを向かない。それは罠だから。迷宮の奥で、宝箱をこれ見よがし、近づく冒険者の頭を撥ね飛ばす処刑器具。
 え?それで、その方はどうなったのですか?私は私の会話に集中した。目の前の相手のネクタイに描かれた猫の数を数えながら。
 うん、結局鯨に呑まれたんじゃないかって、その会社では噂でね、おかしいよね、鯨はオキアミしかのまないのに、ほら、歯みたいな髭が口に生えてて選別するんだよ、小魚だけをね。両手の指をつかって髭と、小魚、それに大きな魚――もしかするとかわいそうな人間――を演じる彼の手の動きに、私は集中して見入る。
 ですよね、私だって、深刻に考えちゃいますもん、何がいけないんだろうって。最前に別の声が重なる。ああ、これも罠だ。考えてはいけないのだ。私は知っている。
 例えばここで、え、そもそも前提がおかしいです、今年の殺人事件は戦後最小件数です、全体ではずっと減ってます、殺人なんて、といってしまえば、狂人は私で、途端に椅子が下ろされ、私は何処かへ連れて行かれてしまう。お前が薔薇を殺したのだ!と私の犯罪は指弾され、私は溢れ落ちる。理論的に喋るのは、狂人だけなのだ、鏡の外の、世界では。
 でも、鯨に当たったら、溺れちゃいますよね、きっと。私は彼と会話を続ける。彼はほとんど無害で、私にはない美徳で、それがとっても好きだった。彼と会話していれば、私は理性の世界に留まり続けていられるのだと、私は信じていられる。私は恐れず慎重に宝を探し当てる、冒険者ではなく、ただの市民だから。