ソングマスター (ハヤカワ文庫 SF 550)

遥か未来の、抑圧的な帝政の時代、1人のゲイ寄りのバイセクシュアル男性(自分ながら何割かはゲイで何割かはヘテロだと語る)が、抑圧への苦悩を叫ぶ。偏見を指弾する。
 純粋で、純正な愛と、愛を抑圧する人間の愚かさ(もしかすると賢さ)が招く悲劇…。SFの形をとりながら、オースンスコットカードの『ソングマスター』は、そうした社会を非難する…としか読みようのない物語を描き出す。
 歌う少年少女を世界に送り出す機関(歌うジェダイ)、そして彼ら彼女らを望む権力者。物語はこの2つの設定を柱に、壮麗な才能と愛の、複雑な力学を描き出していく。
 それは、同性愛の問題に留まらず、人間の感じ易すぎる心の針が、愛のレコードに刻まれた溝をたどるときの、強烈な波動がもたらす物の、物語。
 スコットカードが、無伴奏ソナタなどでとる、抑圧され吹き飛ばされるマイノリティに対する深い眼差しを、愛の物語に向けたとき、そこに同性愛というテーマが浮き上がってくるのは必然だったのだ、と思う。
 彼の持つ詩的な文章の力能で、異性に限らない愛をを美しく強く讃えることも、必然だったのだ、と。
 SFと同性愛と、愛の物語が、ここまで高いレベルで、そして自然に融和した物語は数少ないと思う。そしてここまでロマンス詩的な物語も(そこに80年代の男性作家らしい無知と傲慢が潜んではいても)。

 と…話がここで終われば、いいのだけれど、しかし、不思議な事に、オースンスコットカードは強烈な反同性愛・反同性婚論者として、米国では知られている。
厳格なモルモン教徒として、彼は頑なに、それに反抗している。彼の代表作である長編小説『エンダーのゲーム』(元は無伴奏ソナタの短編だけど)が近年映画化された際には、彼の同性愛に対する態度から性的マイノリティ団体の主導で不買運動が起こり、製作会社のワーナーが、自身には一切同性愛を否定する意思はないと、弁明する事態が起きた。
 どうして、こんなにも正反対な事が起こり得るの、だろう。確かに、『ソングマスター』を読めば、そこには不勉強と偏見が隠れている事は、良くわかるけれど、それにしても、これほどの事が起きる様なものでは決してなくて…。
 作家と、作品は、無関係だ。作家がどんな人間でも、作品の輝きは薄れない。反差別を訴える作家が驚くような無知で差別を描くこともあれば、作品の中の登場人物が差別的な作者の意志に反して、差別を糾弾することもある。それでも、ここまでの、作家のズレが起こるなんて、とても不思議で、絶望的にも思える。

けれど、もしかすると、それは奇跡で、不寛容に対抗する希望なのかもしれない。少なくとも、そこには不寛容の意志から寛容の種子が生まれているのだから。


オースン スコット カード
2014-04-01
初めて読んだのは多分小学生の時。どれほど押さえつけられても、どうしようもなく生き残る者たちの姿と音に、ひどく打たれる。