黒百合姉妹さん日本の音楽ユニット。古楽器を愛好し、クラシックができるより前、バッハ以前の古楽に近い音楽を作っている。大地が震える重低音と共に、グレゴリオ聖歌が黒百合姉妹さんの手で再現されると、そこから何かとても澄んで美しい世界が現れる。失われたチェンバロ、オルガン、キタラ。再現されたそれは、なのに、元の音楽が含まない透明な何かを含んでいるように思える。
音が連なり行く疾走感は、踊り続ける忘我の恍惚にもにて、非抑圧的で現代的。響き渡る音に血潮が熱く蜜になって溶けていく。
黒百合姉妹さんの音楽は、聖なるコードの中に眠る古いコード、抑圧するもの抑圧されるもののコードが生まれるより前の、神々のフォークロアのコードを引き出す。そこには、途方もなく透明で結晶質な鬱金色の、聖なる世界が広がっている。それは、聖なるものに眠る耽美な感覚に近くて、遠いものだと感じる。
抑圧するもの=抑圧されるもの、という対比による魔の濡れ羽色の魅力は、けれど同時に抑圧それ自体の構造から生まれるもので、魅力だけにどこまで耽溺しても、それは大きな構造に対して小さなアナーキーに抑え込まれる事があるのだと思う。
何故って、抑圧されるもの=魔の魅力は、必然的に元の構造に依存しているのだから。失楽園の暁の星々が敗北を喫するのは、だから必然でもあったのかもしれない。
黒百合姉妹さんの音楽はそこを超越する。或いは、そこを更に潜り、暗闇の洞窟を泳いでいく。
見出されたのはもっと古い聖で、その解き放たれた奔流の魅力は、もはや構築された構造とは無関係に飛び回る。暗闇と光の間は淡いグラデーションの昇華され、琥珀色のきらめきだけが世界を埋め尽くす。
そこには確かな今の視線があり、結晶のようにゆっくり育つ聖性を、今発見する事、それが奇跡なのだ。
黒百合姉妹さんの音楽を、私は愛する。
繰り返すことで違う起源を創造する。黒百合姉妹さんがAve Maria と歌い、Kyrie Reison と歌うとき、そこのはキリスト教と異なる異教の響きがある。
耽美な、聖の中に、聖が禁止するものを生み出す、機構があること。それに依存する感覚は、聖の法を抜け出しつつ、けれど聖の法をなぞるものでもあって。特にそれが意味と結びつくなら。
黒百合姉妹さんの音楽はむしろ、聖なる音楽を丹念になぞる様な姿勢を見せる事で、聖なる感覚、聖それ自体を再創造してみせる。黒百合姉妹さんの聖はそうして、意味から離れ、世界を包み込む。
それは凄くシンプルで素直な聖への向き合い方で、しかも今ある聖を解体してくれる。
禁止を生む事を暴くのではなく、聖を素直になぞり、そこから元の聖からは思いもよらない聖を作り出す事。それこそ、いまある聖を超克する、本当に綺麗な、竹を割ったような方法なのだと思う。耽美の先にある遠い領域。
そして、黒百合姉妹さんの音楽が聖性をなぞるなら、聖性が含む昏さも、なぞらないといけない。聖性を静かに手に入れた黒百合姉妹さんから見ると、耽美と言われるような感覚も、また違った意味を持ち出すように思える。
黒百合姉妹さんさんのCDに歌詞カードがないというのも、なんだかそういうところに理由がある気がする。
黒百合姉妹さんの公式HP
Messege To Sybilla のご意見欄からCDなどの申し込みができます。
□ 黒百合姉妹さんのアルバム紹介
リリース日順
Voix Du Vent
黒百合姉妹さんの最新ライブアルバム。
バグパイプの生音が、仄暗さを醸しながら、同時に黄金の色を練り上げる。ラストのKyrieの壮大さは圧巻の一言。溢れ出る聖性。
初期の作品から最新作まで、賛美歌、古楽、バッハ、オリジナル、日本語曲、とヴァラエティに富んでいるので、黒百合姉妹さんを初めて聴く方も是非。
公式HPのMessege To Sybillaから申し込む事で購入できます。
アマゾン等では扱われてい無い模様。
森羅万象の聲
黒百合姉妹さんの最新アルバム。
今まで以上に古楽への傾倒が強く、音楽を音の中から探り出すような冒頭と掉尾の曲が印象的。
バグパイプを加えた『水のマリア』『風のマリア』『月のマリア』三部作が美しく、音を重ねながら森羅万象の深みを歌い上げる。とにかく全般的に深く沈み込むような静けさがあって、聴いていて心地よく、同時に躰がザワザワとする。
余談めくのだけど、収録されているクリスマスソング『DOWM IN YON FOREST』が、原曲では"I love my load Jesus above evrything(何よりも我が主イエスを愛す)"となっている所が、こちらのアレンジでは"I love my load above everything (何よりも我が主を愛す)"と繊細に変えている所に、黒百合姉妹さんの核を感じるのですが、どうでしょう?
『IN DITC』の圧倒的な声の震えは、賛美歌の抑制を内側から食い破る奔流のような祈り。アウトロの石窟で響く水音のような『La chamber du clair de luna Ⅱ』のアンビエント冷たさ。
天の極み 海の深さ
まさにその名のごとく、何処までも透明で、けれど潜っていく事、飛び続ける事の恍惚と裏腹の怖さが混じり合うようなアルバム。
高音の楽器とハイトーンボイスが絡み合う歌曲群の気持ち良さ、深みは本当に美しく。黒百合姉妹さんの清らかな側面の完成形だと思う。法悦の歌が、天と地を行き交うようなアルバム構成も、素晴らしい。
空も海も、地上から離れれば離れるほど、透明度が上がりながら、同時に色が深みを増していくのだけど、正にそんな音楽。絶品です。
アルバム収録の『空を紡ぐ』は今の所、黒百合姉妹さん最後の日本語曲。透明でありながら、深い青色を湛える中に、クリスマスソング『ONE SNOW』みたいな大人びた可愛さがそっと潜んでいたりするのも、このアルバムの魅力。
All Things Are Quite Silent
黒百合姉妹さんの別名義Juri et Lisaによるどこか民謡風のアルバム。
穏やかな弦楽が、けれどキラリキラリと、音の中で煌めいて、とても綺麗。
なんとはなしに、口ずさみたくなる曲が多いのもこのアルバム。
流れる風と大地が眼に浮かぶ『FROM AWAY』は特に穏やかでいて、切り立った山の頂のような力強さがあって美しい。ラストの実験音楽的な『Amcient chant』の静けさは見事。
どの曲も完成度が高くて大好きです。
星のひとみ
レオノーラ・キャリントンのジャケットが印象的な一枚。
前作『月の触』の濃密な夜の世界から一転、不思議な光の煌めく妖しい世界を描き出す一作。
『The Door On The Shore』の夢めいて模糊とした色合いは、このアルバムの特色。表題作『星のひとみ』の疾走感も素敵です。
月の蝕
黒い黒百合姉妹さんの一つの頂点。バッハ的な陰鬱への傾倒が、静かに美しい。『Nu Alrest』はバッハの『われ汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ』のアレンジ版。近くに聞こえるバッハの旋律を奏でる弦楽器と、遠くで残響する歌声の対比がなんとも言えず、密やか。表題作『月の蝕』は怒涛のピアノ連弾。暗がりの嵐のような激しさは、このアルバムを支配する速度のイメージでもあるように思える。
夜は星を従えて
同名のバーンジョーンズの絵がジャケットの黒百合姉妹さんのセカンドアルバム。2曲のクリスマスソングから始まる祝祭めいた雰囲気が全面に出ている一枚。ゴシックな感覚がありつつも、黒百合姉妹さんのアルバムの中では最もPOPsな一枚だと思う。
聖楽の感覚と、ポップスの感覚が絶妙に混じっている。恐るべき子供達をモチーフにしたという『Paul&Liese』は優しく澄んだイメージでお気に入り。そこはかとなく暗い『Azul』などが混じりつつも、どこか陽性なアルバム。
最後は天使と聴く沈む世界の翅の記憶
黒百合姉妹さんのデビューアルバム。冒頭の表題曲、壮麗に訪れた世紀末の一瞬を捉えた、賛美歌めいた日本語曲はまさに圧倒的。鐘の音から始まり、扉が開く演劇的技巧も効いている。延々と鳴り続けるオルガン(たぶん)の伴奏にクラクラとし、歌声に誘われて終末を幻視する体験は、本当に劇的。初めて聞いた時には、途方も無い感覚が無闇に哀しくて、泣いた思い出が。
それ以外にも、シャンソン風の一曲や、90年代終末SFな感覚で歌い上げる現代黙示録の聖楽『華』シンプルなピアノ伴奏に呟くような歌が伴う『黒猫ティブの子守唄』、明るめの色彩が映える『地中海の夢』などなど、荒削りな部分は多いながらも、バラエティ豊か。
黒百合姉妹さんの出発点であり、その後の、時間を超えるような音楽を目指していく黒百合姉妹さんの音楽(夏発売のアルバムにクリスマスソング!)から見れば、一番、このアルバムが時代というか現代に結びついていた作品でもあるのかも。だからその意味では、一番聞きやすいアルバムでもあるのかもしれません。
附記
こちらのリストには掲載しませんでしたが、初期作品のリマスター版
(『最後は天使と聞く沈む世界の翅の記憶』『夜は星を従えて』『月の蝕』『All things are quite silent』『LUX AETERNA 久遠の光(初期のライブ盤)』『Schwarzwald(初期ライブDVD)』)
のうちから4作を購入し、付属する応募券を郵送する事で、アルバム未収録作品ボーナストラック等を収録したスペシャルCDのプレゼントに応募できます。
黒百合姉妹さんの音楽が、それを望む人々のもとに届く事を……。