『夢幻諸島から』は稀代の"信頼できない語り手"クリストファー・プリーストによる、架空の諸島の架空の旅行ガイド。


 夢幻諸島は、二つの大国に挟まれた広大な海域に散らばる島々で、本書はそのひとつひとつを、使用通貨などの有用な情報とともに教えてくれる。


 それはごく通常の旅行ガイドらしい島の記述であったりもするけれど、時にそれは有名人のゴシップとなり、あるいは突飛な数十頁の短編小説(SF ミステリー 恋愛と内容は多岐にわたる)のようで、あるいは伝記であり、時には素っ気ない島の記述であったりする。


 ただの島の記述であっても、その内容は概ねフラットな見方ながら、アートと大国の軍事的影響力の話題への偏向が、見られる。


 夢幻諸島の、インターネットや近代産業を備え、時にひどく現実的でありながら、現実をさらりと飛び越える島々の記述は、ただペラペラとめくるだけで楽しい。


 旅行本や旅行ブログを眺めて空想の旅に浸る楽しみを知っている人は多いはずで、しかもその旅行記が架空の物だとしたら、それはもっと刺激的であるはず。この本はそんな目的に適してる。


 けれど、一つ一つの記事は細かに見ると微かな食い違いを見せる。夢幻諸島は、特殊な環境の影響で、諸島全体の地図さえ、明らかにはならない。まるで、夢幻諸島の一つ一つが、独立した世界であるかのように、物事は一定の解釈を許さない。


 その世界の中で脈絡を保つのは人物の名前であり、移動の航跡で、それを辿って行くと繊細なヒューマンドラマの海図の姿を垣間見る事ができる。


 あるいは、政治と戦争、経済とアートといったテーマを中心に見ていけば、そこに姿をあらわすのはまた別種の物。


 けれども、その一つ一つを丹念に追えば、脈絡の岩礁は矛盾の波に飲み込まれ、読解は誤読となり、遂には、異なった世界の一つ一つを受け入れるか、自分で考案した真実を受け入れるかの二択を迫られる。

 それは、永遠の誤読の中を旅する事で、同時に寛容というか、世界をただ受け入れる素直さを求める旅のように思えた。



 旅行ガイド自身の魅力、小説としての作品群の面白さに加え、散りばめられた手がかりを元に読み解くそうした誤読探しも、この旅行ガイドの楽しさ。


 その感覚はある種のゲーム、謎解きゲームの感覚に似ていると感じる。


 あちらの綺麗な景色の中で見つけた手掛かりが、こちらの暗い洞窟の謎を解く鍵となる。


 それはまた、夢幻諸島を旅する行為でもあり、架空の諸島の上に実際の旅が描きこまれていく。


 けれど、夢幻諸島はその成り立ちからして解読不可能なものとして設定されていて、短編同士は互いに少しずつ矛盾しあう。一見、ある地点の真相が、ある地点の謎を解いたように見えても、よくよく読めば、そこには消えない矛盾がしこりのように残る。


 だからこそ、一回の読書がそれぞれ違う世界を見せてくれる。或いは、世界が複数である事を許容する勇気を与えてくれる。


 読者の読み解きによる作品の変貌は、プリースト作品全体の特色なのだけどこの夢幻諸島では特にその側面が読書体験と結びついているように感じた。ある種の遊戯性、ゲーム感覚が全面に出ているような。


 そして、物語の一つ一つが奇妙に優しく、読者に対して作品が求めるものも、そんな寛容な何かのような気がして。
 それはもしかすると、従来の作品と違って、どこかユーモラスで優しげな、夢幻諸島の熱帯の風からきているのかもしれない。 


 本書は複数の中短編から成り立っているように見えるのだけど、作品としては長編という扱いになっている。それは、矛盾し合う複数の世界を同時に見渡す事こそが、本書の目的である事を、意味しているのだとわたしは思う。


クリストファー プリースト
2008-05


 『限りなき夏』は本書と同じ夢幻諸島を舞台にした短編集。他にも夢幻諸島ものには未訳のものが数冊あるのだとか。



クリストファー プリースト
2007-04


『双生児』はWW2を舞台にしたクリストファー・プリーストの小説。何を書いてもネタバレになりそうで、とても語りにくい作品なのだけど、作品の構造はある種のアドベンチャーゲームを思わせるところが。




『Dear Esther』は無人の島を、1人の男の独白を聞きながら彷徨うゲーム。本当にただ彷徨うだけで、ゲームと聞いて想像するような競技性は一切なく、物語も男の独白と、周囲の環境から想像するしかない。しかも、男の独白はプレイする度に変わるという信頼できない語り手ぶりで、真実は拡散していく。
無人の島の風景は美しく、中でも夜の場面の色彩は素晴らしくて。この内容で一週間に6万本の売り上げを記録したそうで、ゲーム業界の懐の広さは凄いのかも、と思ったり。
ただコンセプトと陰鬱な東欧映画のような美しい画からすると、物語のあまりに個人的で内面的すぎる内容は少し寂しく。
なんとなく、夢幻諸島の一つの挿話であってもいいような気がして、ここで紹介。




『The Witness』
イラスト調のグラフィックで構成された島に散らばる一筆書きパズルを解いていくゲーム。
建築家と景観作家と共同で作り上げたという島のデザインはとにかく素晴らしく、イラスト調なのに驚くほどの実在感が建物と景観に感じられて。一歩、歩くごと、一つ視線を変えるごとに、常に構図まで決まった新しい美しさを表し続ける島のデザインは驚異的な作り込み。
物語はというと、島のそこここに散らばったICレコーダに様々な思想家の引用が詰め込まれ、パズルの一つ一つが対話してくるような、一筋縄ではいかない抽象的な作品。
SF小説、スペキュラティブ・フィクションへの傾倒を語る作者のジョナサン・ブロウ氏はインタビューで「重力の虹を読む人に向けたゲームを作りたい」と述べていて、ほほう、という感じ。
これまた、夢幻諸島の一つの島としてもしっくりくるような気がしてここで紹介。