CFS患者と学校支援 ~学びをあきらめないために~
2016年の5/21に行われらCFS世界啓発デーイベントに青森の患者会に招かれ、自身の大学生活について講演する機会をいただきました。
今回、2018年に開催される予定のイベントのクラウドファンディングが始まり、当時の講演の映像がYoutubeにアップされました。
なかなか聞き取りにくい部分もあるので、以下に原稿を基にした聞き取り文を掲載しております。煩雑ですがご参照ください。
またどうぞ、以下のクラウドファンディングに協力してくださるようお願いいたします。
https://camp-fire.jp/projects/view/61524
講演者
https://twitter.com/SpiralGinga
お願いします。
CFS患者の近藤銀河と申します。今回、学校関係について話して欲しい、とのことでお招きにあずかりました。
こういう場でお話するのは本当に初めてで、とても緊張しているのですが、暖かい目で見てやって下さい。
時々スマホをこうやって見てますがラインをやってるとかではありませんので、メモを読んでるだけなのでよろしくお願いします。
私は現在日常生活を支援無しには送れない感じで、ずっとベッドで寝ていないと苦しいという感じなのですが、同時に現在私はなんとか大学生として学生生活を送ることが出来ています。
これは大学の方からいろんな支援を受けて、有形無形の支援を受けているお陰で通っているのですが、今回どういう支援を受ければ、どういう支援が欲しいか、
どういう支援があれば大学生として暮らしていけるかという事について、ちょっとお話させて頂きたいと思います。
まずちょっと実体験から話していきたいと思うんですけれども
その前に私がこうやって暮らしていくにあたって大学の支援を受けるにあたってとっても感じるのは大切な3つのことがあると思うんです。
1つは「連絡」ですね。
密に「連絡」していくこと。
もうひとつが「許容」。
「許容」というのはこちらの訴え、こちらの要望を
聞いて貰えることが大切だなと。
それからもうひとつ、これは私が一番すごい感じていることなんですが、
「提案」をして頂く事。
相手から「提案」して頂くとこちらからすごい言いやすくなるんですね。
どんな的はずれだなという事でも、
或いは、うーん、ちょっとそれは違うんじゃないみたいな事でも、
相手から「提案」して頂く事で、こちらからとても言いやすくなる、
それにその事によって相手がこちらの事を思って下さっているっていうのがすごい分かる、この3つが私は大切だと思っています。
「連絡」「許容」「提案」ですね。
ちょっとこれから私の実体験と少し私の事について話していきたいと思いますので、この事をちょっと頭の隅において聞いて頂けると嬉しいです。
次は私の事を話します。えーとーですね、私は中学で発症しました。中学の1年ぐらいの時ですね。それからずーと6年間どういう病気か不明でした。
不明でしたので、支援をどうしてもらったらいいのか分からなくて、ちょっともう中学は、ほぼ途中でほとんどあきらめて、中高一貫校だったんですが、高校も進学はあきらめました。
あきらめたんですが大学は私はちょっと行きたいなと思っていたので、大学を目指して勉強を、大学検定というのがありまして、高校卒業程度認定試験と今は言いますが、それでそれを受ける事で、大学の受験資格が得られるというもので、それを目指しながら独学で勉強していました。
えー中学の話を、ちょっと戻っちゃうんですが、中学からずーとやっぱり私がどういう病気か分からなかったので、どういう支援があったらいいのか分からなかったいうのが本当にあって、
たとえば喘息があったのでチョークが辛かったんですが、そういうのもそれがチョークだけの問題なのか、が体力が無い問題なのかとか、そういう事も本当に全然分からなくて、そのあたり支援がすごい不明瞭になっちゃったなぁと今思います。
で、独学で大学を目指すようになりました。ずーっと寝たきで塾にも行けませんし、本を読んだりするのも(体が)辛くて、集中力、気力も続かない感じでなかなか大変で…。
私今通っているのは東京芸術大学という東京の大学なんですが、独学で、体力の問題もあり、何回かチャレンジしなんとか合格した感じです。
芸術大学というとなんだか絵が描けるのかなと思われがちなんですが、別にそんな事は全然なくて私は芸術学という芸術を学問として学ぶところ(歴史や哲学)に行ってますが、
作家活動もしていて二足の草鞋でやっています。
大学生活の話ですね。
入ってから取り敢えずちょっと1週間、東京の方で暮らして、私出身岐阜で、東京の方でいったん暮らしていたんですがちょっとやっぱり(体が)辛くて、1年休学させてもらう事になりました。
休学してこちらの体調を整えて、相手(=大学)の方にも体制を整えて頂くという事で、1年間期間をとりました。
この間に非常に密に連絡を取り合いました。
一ヶ月ごとにメールをやり取りして、細かい生活の、どこどこの展覧会に行って来ましたとかそんな事から、こちらの体調の事、相手に要望する事、相手が対応してくれた事、それについて非常に密に「連絡」させて頂きました。
そうですね、その結果、いくつかけっこういろんな事を気遣って頂けました。
まず私はこれは非常に一番大きい思っているんですが、授業がおもにある中央の中央棟という授業がメインに行われる棟があるのですが、
そこの1階に休憩室というのを設けてもらってそこに電動ベッドを置いて頂けました。
それで授業中、授業中はあまりないんですけど、授業の合間、昼の時間、昼の食事の時間ですね、そこを使わせてもらってずっと横になっているこれってすごい助かりますね。
授業の合間10分なんですがその間に5分横になれるというだけで、かなり全然体感として疲労の具合が違いますね。
それから私が車椅子、大学でも使ってる、これはリクライニング出来て、ちょっとやってみます。
こういう感じでリクライニングができて、授業中もこうしてリクライニングをさせてもらって、こういう感じで、いつも授業を受けて、まあ授業受けてるのかみたいなという風に見えるかもと思うんですけれども、それもすごい学校側に受け入れてもらって、いいですよということを言ってもらえたので、これもすごい本当に助かりますね。
車椅子を起こした状態で授業を聞くのと、横に寝かせた状態で授業を聞くのでは、全然体力の消耗が違います。
それからですね、授業中にノートをとるんですが、
それもスマホでやっていいと私このスマホ、
これを使ってノートをとる、キーボード付きスマホというか、キーボード外付けで使って、それで授業をずっととってメモをとっています。
これが出来るというだけで、これがやっぱり手で書くとなると非常に辛いので、ここも対応を認めて頂けてとてもよかったです。
スマホ厳しいという話を聞きますので、私はこれはとてもありがたかったと思う。
このあたりはこちらの言っている要望を聞いて頂けた、「受容(=許容)」の事ですね。
それから相手から非常にいろんな「提案」を頂きました。
たとえば結局やってはいないのですが、授業の動画を、授業中に動画を、カメラで動画をとってはどうかとカメラも大学の方から貸し出します、という話です。
それからついこれも先日あった話なんですが、授業が行われる棟のエレベーター、エレベーターの手すりがちょっとあるんですが、あんまり使いにくい形でこれを車椅子用にもっと使いやすいよう何か取り付けることができるかどうかというような「提案」を頂きました。
こういう風に相手からいろんな「提案」を頂けるというのは、
とても幸せで助かりますし、そのお陰でこちらからも要望を言いやすくなります。
非常にありがたかったです。
それからやっぱりちょっとそこまで大きい大学ではないので、エレベーターがない部分がある。特にあの、図書館ですね。
図書館にエレベーターが無いという事で、2階に図書館があるんですが、エレベーターが無いという事で、これは、これもいろいろ「提案」頂いて対処、待遇を頂けて図書館長室にパソコンがあるんですが、そこで欲しい本を調べて司書さんに頼めば持ってきて頂けるというかたちで、これも非常に寛大な対応を頂きました。
それからあと実習、絵の実習があって、それがちょっとそこもまたエレベーターの無い階段があって、そこに関してはどうしても、その部屋に行かなければならないという事なので、
それに関しては教授の先生や助手の方が車椅子を運んで下さるというか、車椅子をワッショイと背負って、御輿のように背負って、階段を通して下さるというまあちょっと原始的な方法なんですが、これもそういう風に対応して頂けた事で私も通える、これもありがたかったです。
いろいろこうやって「連絡」をしながら対応、私の言葉を受容してもらって「許容」してもらって、相手から「提案」を頂いていく中でいろいろやりとりがありました。
ただ一番嬉しかったのは、なによりも嬉しかったのは、
相手が「お礼を言わなくてもいい。」と言って下さった事です。
私がいつも「ありがとうございます。」とか、「提案」に対して言うと、
「いや、いい、お礼は言わなくてもいい、当然の事をやっているんです。」と言って頂きました。
この事は本当に心が軽くなりますね。
私のあとの人も同じようにやってくるかもしれなくて、
その為に、その人に対応する為には私の方からガンガン言ってください、それもあなたにやって欲しい事なんです、
というような事を言って頂けてそれは本当に助かりました。
こちらからはやっぱり言いにくい部分も多くて、こういう事を言って頂けると、とても(気が)楽ですね。
これもある種の「提案」かなと思います。
で、もう一度、ちょっと最後に、そろそろ最後かなという事で、
もう一度最初の私が言った事ですが、
「連絡」、密に「連絡」をとっていく、その中で、
こちらの言葉を「許容」、受け入れて頂く、
で、相手から「提案」、提案をして頂くという、
この3つが組合わさる事でいろいろ連携が回転していって問題も解決しやすくなります。
そういうのが、私がすごく大学生活をなんとかやっていけるようになった原因だと思います。いろんな支援を受ける事によって、
なんとか通いたかった大学にも結構通えてて、頑張って…、とても(体は)辛いんですが…。
いろんな支援がもっと広がっていく事を願っております。
その為にはやっぱり、「連絡」とかそういう事だと思います。
こういう事から、お互い違うところがあっても、お互いやっぱり感覚は違います、全然。
健康な人と病気の人間、全然感覚は違います。
たとえば、これはできる、(これは)できない、というのは全然違うんですが、
こうやって「連絡」を続けていく事で、
そういう違いを乗り越えていける、
そういう事によってお互い(理解し)、
支援を受けて私は通える事ができています。
はい、こんなところで大丈夫でしょうか。
(終了)
改めて、この講演から2年近い月日が流れたのですが、今も支援のおかげで学び活動できている感覚は変わりません。
けれども、2年前以上に支援があればできることが広がることに確信を深めつつあります。
大学のみならず周り人の理解があったおかげで展示や研究など様々なことをすることができる毎日です。
昨年も大学の二週間に渡る研修旅行に参加したのですが、研修施設を車椅子対応にし現地NPOスタッフと協力し研修先の方々と事前に話し合いをしていただくなど、多くのことをしていただき無事に工程も大部分を終えることができました。
このような環境に必要なのは、なによりも病気が理解されやすい環境でしょう。
苦しいという言葉に、そうなんだね、と答え、じゃあこうしよう、と言える社会。
それが世の中の多くのところで見られるようになればいいのに、と願いながら活動していています。
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付記
こうした東京藝術大学の支援はとてもありがたく素晴らしいものでしたが、東芸大に一切の問題がないわけではないことを、諸問題に痛みと怒りを感じるものとして付記しておきます。
先日、多摩美術大学彫刻専攻の学生がアカハラや教授陣の指導体制とそ
ジェンダー不均衡の改善を訴える告発状を公開しましたが事態は東芸大においても他人事ではありません。特にジェンダー不均衡は学生に多数が女性を占める中でジェンダーを扱った授業が存在しないことも含め大きな問題です。
2015年には教授によるセクシャルハラスメントの問題がありましたが学生間のトラブルにおいてはうまく機能していない面もあるようです。
このような中で私(そして私の後に続く人たち)の支援と対応をしてくださった方々には深い感謝の念がありますが、それはまた同時にこうした問題に私自身が無関係ではいられないことを突きつけて来きます。
支援を受けることができたからこそ、こうした事を見ないフリをすることはできないと考え、追記させていただきました。
CFS患者です。
動画を拝見して、とても勉強になりました。
お身体お辛い中で学びをあきらめない姿勢を尊敬いたします。
今年1月に静岡県で開催された慢性疲労症候群医療講演会で私も県内の患者の状況について発表する機会をいただきましたが、
そこで「お子さまが慢性疲労症候群」という方と出会い、大学進学したいけど今はできない状況であることを知りました。
こちらのブログと動画を私の書いているブログに貼らせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?
支援の輪が広がり、病気を理解しやすい環境が広がることを祈り、私も静岡県から発信したいと思っております。