マルグリット・ユルスナール『火』
消費を許さない彫刻のような文章の奥底にある青褪めた顔のある物語群。
作者:マルグリット・ユルスナール
書籍名:火
頁番号:32p
ギリシア神話の硬質な世界を、そのまま何か違うものに見たてた掌編集。まるで複雑なギリシア彫刻のシルエットをぐるぐると見渡すように、ユルスナールは本来の姿にはない何かを、ギリシアの神話に読み取り、挿入した。そこでは過去のギリシアの小道が、さも当然であるかの様に、現代の都市の小道につながっている。
それはまた、性の可塑性と、突然に顕われる不可能性が、死の周りをクルクル回っているような感覚でもある。
登場人物たちはギリシア人らしく、同性との間に明白な愛を育むのだけど、みな、心の中で性を自由に変転させていく。女性は男性同性愛者となって男性を愛するし、男性は自らの雄々しい身振りを女性の優雅なそれと認識され、女性は男性であることを疑われる。
心の中の性は彫刻の様に可塑的で自由だ。
女のように飛翔していくアキレウスに取り残された男性のような少女の佇む岸壁の印象の強さ。そんな単純化をはねのける文の縺れ。文章が重ねられる度、可能性と不可能性の構図が次々に複雑性を増して、何故か、何か暗く重い墓坑が彫られていく。
その変身は突然、何かに裏切られる。他人の中に性を読み取る視線が、肉体を絡め取り、翼がもげて落ちる。物語の空気は血の匂いを含み出し、暗い墓溝に身体が落下していく。
自由にできながら、所有することも変化させることも許されない何ものか。心底の絶望がそこに待っている。個人の世界を許さない、統合された世界が持つ肉体への強制。
ただ、そこには何かの希望もある。
落ちていく姿がむしろ飛翔の様でもある姿たち。暗い墓から復活を遂げる予感。そして掌編が、固定されたギリシア世界の読み直しであり復活であるパロディとして描かれていること。
それ自体が何かの復活を暗示するかの様に。世界全体を読み替える可能性がそこに眠っている。
アキレウスが自らの明白な性を持たずに、自らとして生きていること。見つめられ、規定させられる、他者の視線への嘲りと全身の反逆。
冒頭に掲げた一ページは、アキレウスが島から駆け出し、それを女装した男と疑われたミサンドラが見送る場面(二人は恋敵でもあった)。性の可能態と、何かの不可能性が奇妙に交錯し、海が向こうに広がっている。立ち竦んでいるのは、読者であり、立ち竦ませているのも読者ではないか。
編まれた短編の連続の最後、言葉はサッフォーの奇妙な復活を、死さえ他者から奪い去られた復活を、描いて終わる。
その先の希望は、死と絶望と墓の暗さを知った読者の心臓の中に、託されているのだと私は思いたい。
この本ではあまり語られないけれど、シャープの生きようとしたあり方は、ユルスナールの火の中の世界を陰画のような奇妙な形で1人の中に抱え込んだものだったような気がする。性の眼差しから逃れ、自身を変転させようとしながら、性の眼差しを自身の中に取り込んだ結果、変転の不可能性にぶつかった生き方。