■一千一頁物語

一瞬を凍らせる短歌やスナップショットのように生きたいブログ

Snap Write(創作小説)

本の一ページを紹介するブックレビュー一千一頁物語 SSよりも瞬間的な創作小説SnapWritte スナップショットの感覚、短歌の精神で怖いものを探求したい…願望

◻︎ケイシとコウコ

 天井のプロジェクタから、光がそっとこぼれ落ちて、空気に満ちる埃を、プロジェクタが優しくてらす。ケイシは、そこに天使の面影を感じ、そっとコウコの顔を見つめる。さっとプロジェクタの光が暗くなり、コウコの顔は闇に溶ける。動画が始まり、白い壁に世界が現れる。コウコとケイシは、幾度もこの動画を見ていた。
 誰もが知っているい事件の動画だ。この国を襲った災害の動画。けれど、動画にあるのは、報道ではぬぐい取られた、死の痕跡だった。死神さえいない、物質と生の分かれ目を写す写真の数々。ケイシとコウコは、この動画を時々見ては、世界の破壊が持つ厳粛さを、思い出そうと努める。1人の人が感じる苦しみを、感じなかった苦しみを、そしてそれが拭い去られた悲しみを。
 ケイシは病を抱えていた。命を奪わないけど、生活の大半を苦しみで奪う病だ。ケイシはやがて、死の事を忘れるようになった。一方のコウコは昔、世界の突端で海と山を持つ宿に勤めていた頃に、死神に出会ったことがあったと、ケイシに話していた。けれど、コウコが言うには、あの死神、臓器から、筋肉から、組織から、宝石を奪い一つ一つ数えあげるあの死神さえ、これを見せはしなかったのだそうだ。死神も、変わったのかもしれないと、今のコウコは思っていた。

◻︎消毒の技法

消毒の技法

 灰色のポリバケツは酷く重かった。下半分ほどは砂で埋まっている。砂は消石灰か何かで、消毒の効用があるのだというけれど、僕はその内容を詳しくは知らない。ただ、あそこからそちらに運べ、とだけ親方から急に命じられて、ただ、ポリバケツを腕に抱えて運んでいた。春先だというのに日差しは暑い。汗が顎を伝う。
 灰色のポリバケツは重かった、けれど同時に異様に揺れていた。それが更にポリバケツの重さを増すので、僕は辟易とする。消石灰とは、生き物なのかしら?と僕は冗談を思い浮かべるのだけれど、言う相手は今ここにいないので胸の中に言葉は貯まっていくばかりでしかない。異様な状況だ、と僕の一部が言う。暑くてどうにかなりそうだ、早く終わらせて、冷却されたい、と僕の大部分が叫んでいた。僕は多数決の立場を採る。みんなの意見を聞く民主主義ではなくって。
 灰色のポリバケツは、重かった、けれど同時に異様に揺れていた、それはとっても不吉で、僕は暑さで参りそうだった。

◼︎ロサキネンシス

 彼は薔薇を育てることに心血を注いでいるらしいのだけど、薔薇の形態的な要素、外見については全く関心を示さない。薔薇を育てるには、薔薇の様子に気遣わないといけないのに、外見を評することが全く無いのは不思議なのだけど、この日も、薔薇の奇形に気がついたのは僕が先だったのだ。
 この薔薇一輪だけ双子みたいだよ、ほら、ひとつの茎なのに、真ん中が二つ。僕は居間で新聞を読んでいる彼に、ベランダの開けた窓から話しかける。彼が気づいていないであろう事は指摘しない。すると何故か不機嫌になるから。
 ああ、ほんとだ、珍しいね、時々あるみたいだけど。彼は新聞から目を上げて、眼鏡の位置を調節する。この頃彼は老眼で、僕は心配だった。
 時々?珍しい?どっちなの、それ、えっと、そうじゃなくって、これって、このまま育つ?僕はそうなったら、僕ら二人みたいでロマンティックだな、なんて呑気な事を頭の片隅で考えている。彼は年を取っていたけど綺麗だった。
 ううん、たぶん、ダメだね、大抵片方がもう片方を飲み込むからね、最後には大きな一輪の薔薇になるんだ、たぶん。育てている薔薇の外見に拘らない癖に、知識は豊富なのだ。そういう所がチグハグで、面白い。僕は彼が好ましかった。

□硝子、鏡、破片


 雨が降っている。
 最近の流行りはエラをつける事。雨の日なんか、気持ちいいものだよ、と娘が電話口で話していた。という話を、彼女は喫茶店の窓際のテーブル席にどっしりと座って、同じく窓際のテーブル席に座る私に聴かせている。娘との親密さが、彼女の自慢だったので。私はと言えば、人の話を黙って聞く能力が、自慢だったから何も言わずに聞いている。誰かがもう一人、同じテーブルに座っていれば時々に、相槌位は聞こえるかもしれない。
 肩甲骨を少し伸ばして羽の名残を作る手術の予算は、100万円なのだ、という話をしたところで、彼女は言葉を途切れさせて、コーヒーのカップごと皿を持ち上げた。彼女が目を外に向けると、娘と同じくらいの年代に見えるのは、顔の造作ではなくて、彼女の強さの現れだ、と私は解釈する。
 私はきっと老けて見えて平凡な顔だろうな、と思って窓の表面に目を凝らすと、その通りの顔が浮かんでいた。

□ゴジラ断章 羊雲の山脈



 その頃、ひび割れ少年のヒゲのように哀れな下草しか持たない地面の下で、人が石油を探そうとして果たせず骨となって崩折れる大地の下で、怪獣は眠りながら、地面の下の遥か奥にある大地の熱を感じていた。それがほんの少しずつ冷めていくのを、数億年の時の中でゆっくりと感じていた。
 同時に、彼女は地面の上を歩く小さな小さな獣の姿を夢見ていた。獣の毛に朝露が集まり獣の舌がその雫を受け止める、微細なシステムを見ていた。菌糸の交わす言葉の意味はわからなかったけれど、その囁きの音は良く知っていた。
 ただ、若いというよりは稚さない形をした少年の足に嵌められた小さなブーティが立てる足音は、確かにその怪獣には聞き覚えのないものであった。それが人の足音という事は彼女にもわかったし、少年がもう一人、大人に近い年頃の友とともに歩んでいる事も、わかったのだけれど。
 大人の方が、地面の草を踏みつけ、上を見上げながら恐る恐る言った。人類が足を運ばない、そういう涯の土地の一つだよ、ここは。少年は彼を見上げ、セーラー服の襟を立てて周囲の音を伺った。
 何も聞こえない……命の声も凶鳥の声も……平安の世からずっとそうだったって、僕は婆さんに聞いたよ……。
 平安だって。大人の方がおどけて言ってみせる。平安はないだろう、先の大戦は関ヶ原なのか。
 ここには怪獣が住んでるんだよ、だから生命の欠片もないんだ、あいつら、彼女らと彼らは、他の命を全て吸ってしまうんだ、途方もなく大きいからね。
 じゃあそいつはきっと最後の一人だよ、こんな土地は、他にはないからな。
 その時に折良く、地面から剥離した薄い土のプレートを、風が巻き上げて日に透かして見せた。掌ほどもないプレートは直ぐに、小さな粒子に変わってしまった。
 怪獣はじっと二人の声に耳を傾けていた。そんな事は思ってもいなかったが、かつて地球が燃え盛っていた頃には、幾多もの同類が延々と炎と戯れていた。あれらは皆滅んでしまったのだろうか。こうして冷えていく地殻を抱きしめるうちに。
 怪獣はそう思うといても立ってもいられなくなってしまった。
 世の中にはあり得そうもない事が、無限性の助けを得て起こってしまう。途方もない偶然と些細な意思の低周波が、人の運命への考え方、ドラマへの感傷を打ち破ってしまう。
 怪獣たちは突然、自分が最後の一人なのではないかという疑惑に囚われてしまった。


  彼女が、ひび割れていかにも不毛な顔で沈黙を続ける地面に向けたズームカメラから視線をそらし、スロットルを開いて機首を上空に向けると、潅木の頼りない人差し指を口に当てた地面も、無数のアンテナを生やす地上の車両中隊も斜めになって視界から滑り落ち、ただ青く落ちていく空だけがコックピットのガラスに反射した。
 ゴジラ、と彼女は思った。豊かな緑が広がっていたこの大地から熱を吸い上げ、人口数億の大国が搾取するのと等しいエネルギーを消費して生を得る、ゴジラ。人間の土地から人間に必要な物を吸いあげ、人間の生存圏を甲冑がなければ息をすることもできない場所へと変えた、ゴジラ。ゴジラをそういう存在と見なす時、彼女は体が震えるような、途方もない宇宙につながった気分になった。
  警告が通信から入るまでの、一瞬、ということはつまり、世界の彼方を仰ぎ見る悟りの気分から、ただの怒られるべき悪戯小僧へと転落するまでの一瞬に、彼女は少しだけ気持ち固めた。


 高層の雲海の切れ間から、緑より濃い色をした木々の海が見えた。イズモの突端に設えられた展望台で、初めてここを訪れる人間はかならず来るが、何度も訪れる人間は希だった。しかし、背後の高層ビル群と、どこまでも広がる二重の海の対比は、見事だ。遠くに見える怪獣の山より大きな背中さえ見えなければ、人類がこの世界の王者であり、自分もその一人だという幻想に、生活の貧しさも忘れて浸ることができたかもしれない。
 展望台、といっても、空中都市の縁からそれほど突き出ている訳でもなく、靴を脱ぎ投げ捨ててみても、巧妙な設計で見えないように仕組まれた地面かネットに落ちるのが関の山である事を、アガサとクリスは了解していた。今は眠っているあのゴジラも実はそんな風な錯視の一種ではないか、とほんの少しだけアガサが思ったのは、ゴジラと展望台の間に信じ難いほどの距離があっる筈なのに、ゴジラがそれでもなお途方もなく巨大に見えたからだった。もしもそれがそれほど大きいのならこんな、空を浮く都市など一瞬で灰に変わるだろう。ゴジラの背びれの上の方に、数台の気球が浮かんでいた。


 地質学者、前に出すぎるな、と心理学者が額にトライフォールドを刻んだヘルメット越しに、通信で警告を出した。地質学者が脚を止めると、突然自分が随分他の人間たちから離れてしまっていたことに気がついた。鈍い光を放つ自分の甲冑が、地面から浮かび上がって見えた。
 生物学者が、もうすぐ追いつくから、と呟くと、気象学者が止めていた脚を動かし始めた。ゴツゴツと黒く続く石の群れの中を歩くのは、地質学者以外の誰にとっても、どうにも辛かった。軍人でさえ、時々は脚を滑らせている。何よりも、真珠母色に煌めく空の下を歩き続けるのは、果てのしれない夢のようだった。
 子供の声が聞こえる気がする、と軍人が一人、胸の内で考えた。地質学者は少し、彼我の距離を見ていると、不安になり、ゆっくりと後方の一団に向かって歩き出した。急がなくていいさ、ゴジラはこの程度の集団なら、生存競争の相手とはみなさないのだから。心理学者は地質学者がそう呟いたの聞くと空の彼方を見つめた。




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